健康NEWS 2023年 6月 A面 =真の友とは=

~たとえ裏切られてもなおかつ信じ続けられる人~

現在の若者にとって、友人はライバルであり、なかなか友情がよく育たないと言われています。以前、20代の青年と語り合ったことがあります。『友情が育たない』の理由の1つは、受験戦争と呼ばれる厳しい進学競争にあるのではないか、と聞いているうちに私も思うようになりました。
『昨日の敵は今日の友』と言われるように、昨日まで厳しく競争の敵であっても  大学入学後や就職後になるとそういう競争意識が薄れて再び友情が戻ってくる場合もあります。いくら競争社会と言っても、その生活の中で親友と呼べるような友人が  1人もいないのは何とも寂しいことではないかと思います。
しかし皆さん、親友の条件とはいったい何なのでしょうか。単なる友人とか友達と呼ばれるものなら、小さい時から始まる学校教育の中でいくらでも得ることができるでしょう。社会に出てからでも遊び友達、飲み友達、話友達と呼べるような人間は結構多くできるものです。そのうち、本当の友人と言えるのは『必要な時の友こそ真の友』ということわざに象徴されるように、こちらが本当に必要としているときに相談にのってくれるような友人ではないでしょうか。そして、その場合の友人の条件としては、『決して裏切らない』ということも大切でありますが、それよりも『たとえ裏切られたとしても、なおかつ信じ続けられる相手』であることと思います。
「自分は相手を親友だと思っていたのにこんな形で裏切るなんて… 親友どころか 友達でさえない。」などと愚痴を聞くことがあります。それでは単なる利害関係だけで結びついていただけの友情であって心から相手を信じていたことにはなりません。 裏切られているように見えてもそれでもなおかつ信じ続けることができなければ真の親友とは言えないのではないでしょうか。私はそう思います。
最も、人間とは誠に頼りない存在であることも事実で、いざとなったら自分の身を守るためには友人も裏切る人間も確かに少なくありません。たとえそのような場合でも、裏切った友人を恨んだり、憎んだりする代わりに自分の不徳と反省をしてこそ本当の友人を持つことが出来る資格のある人と言えるのではないでしょうか。一度疑い始めたらきりがないし、そして疑いがあるところには決して友情は育たないと思うからです。
長いようで短くそして短いようで長い人間の一生の中で真の友人と呼べる相手を一人も持たないで過ごすのはせっかく人間として生まれてきた我々にとってあまりにも寂しいことではないでしょうか。信じてとことん信じ続けられるような友を一人でよいから持ってもらいたいと願わずにはいられません。

 

 

健康に生きる 心と身体が喜ぶ 日々の過ごし方
~ 日々楽な気持ちで、細かいことにこだわらない ~

新聞に『過去を後悔、未来を心配』というタイトルで、『くらしの相談室』に『こころ』の相談が掲載されていました。よく考えてみますと、人生において嫌な人も一緒に生活をして仕事をしなければならないことは多くあります。同僚や 上司、一緒に地域で関係するとき嫌な人との関係の中で苦しい思いもあり、つらいかもしれません。
しかし私が思うには、こちらが恨んだり憎んだりするから苦しいのであって、逆に恨み憎むことをやめた時、一緒に  いても苦しむことはあまりないものです。嫌な人を作っているのは、実は自分自身ではないかという事も反省する必要があるのではないでしょうか。安らかな心で日々暮らすことは自分から嫌な人を作らないことだと思います。嫌な人は自分の心の色に染めることはできません。よく十人十色といいます。みんなそれぞれですので、そう思えば自分の思いを押し通すことはなくてもいいと思います。
日々、楽な気持ちで細かいことにこだわらず、こころがゆったりでおおらかな毎日を送りたいものです。よくいう  「世間付き合いに悩むことは利益を失う事」といいます。健康な生き方は他から強制や命令を受けることではなく、自分の思う正しい自由な暮らしをしていきたいものです。

 

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