健康NEWS 2022年02月A面 =もっと目先のことを考えてみたい=

  • 遠大な目標は、今やるべき事が見えにくい

最近、友人の息子と雑談をかわしている内に、なんとなく「そういう考え方もあるもんだ」と、ふと思った。その時彼は   これからのことについて、手がかりのないまま暗中で思い悩んでいるようであった。やはり、目先のことにとらわれて考えて 見て、物事の既知のことをもとにして未知のことをおしはかると「どうなるだろう」と、ふと不安にかられることは誰にでも ある。
『この組織にいて将来、芽は出るのか!』
『家族に不幸がおきたらどうしよう』などと、先のことを考えれば、不安のタネは つきない。だが明日はどうなるかは神のみぞ知ることであって、実際その明日がやってくるかどうかさえ、定かではないはずで、突然の事故で昇天ということだって 決してありえないことではない。そんな 不確かな将来を思い悩むのは『いらぬ  心配』ということなのかと思ったりも  する。
昔話を持ち出して出すぎたことであるが、終戦直後の沖縄、昭和21・22年頃には誰もが今日を生きることで、精一杯で将来に不安を抱く人はいなかった。不安を抱く余裕すらなかった。6・7才の私も 父の不健康などで消失した毎日であった。これからという『今』を乗り越えることに全力で集中せざるをえなかった。今は勿論時代が違う。しかし、今を乗り越えるためにしなければならない課題は、時代にかかわりなく誰にでもあることで、そういう ときひとまずそこに集中することで、心配しようがしまいが、明日は明日の風が吹く。ここは腹をくくって不安を棚上げするのが、いいのではないかと私は思う。
そして、自分の最小の目標を達成する ことであると思う。最近はフリーターと 称する流行的主義がはやりである。だが 大望とはいわないが人生は何かしらの目標を持つことは必要と思う。
『将来は独立をして事業を起こす』とか 『英語を身につけて海外で勝負をする』とか。目標を設定することで、努力しようという意欲がわくし、継続する意思力も生まれてくる。ただし20年先の目標実現に 向けて自分を駆り立てるのは容易ではないと思うのである。目標が遠いほど、今やるべきことが見えにくくなり、のんべんだらりと時間を過ごしやすくなることや、遠い将来だと時代背景も自分の姿もはっきりと描くのは難しいものである。まず近くの 目的を持つことが、遠大な目標に到達するための最善策のように思う。
『将来の独立に向けて、今年はできるだけ多くの社外人脈をつくろう』とか
『まず英検一級の勉強を始める』といった具合なら、今やるべきことが明確になるのではないか。
我々マラソンランナーは、ゴールを思いながら走るのではなく、ちょっと先にある信号や曲がりくねった道の数、登り下りなどを目標に、これまで温存していたエネルギー量をコントロールして走る。
この走法、人生というロングランにまことにふさわしいと、私は思うのである。

 

  • 『健康に生きる』体が喜ぶ日々の暮らし方
    ~体と頭は、バランスよく使おう~

 

私の旧友は、ほとんどデスクワーク中心に仕事をしていました。体を動かす時間が少なく、頭ばかり  酷使しがちだと言っていました。これは心身両面に良くないのでは・・・と思ったものです。心理学の専門家である多田吉之介博士は自署でこう書いておられます。
「我々の経験の中に右手で重い荷物を運ぶ最中に疲れてくれば自然とその荷物を左手に持ち替えると いうごく原始的な行動があります。頭脳労働に疲れたら一休みをして体操をしたり、あるいは肉体労働やスポーツで疲れたら足を投げ出して軽い読み物に目を通します。」
つまり、体と頭はバランスよく使うべきで、どちらかに偏ると疲れやすく気力にも影響するということです。だから心を元気にしようと思ったら、体を刺激するのがいいとよく聞くことがあります。
とはいえ、仕事の最中に体操をするわけにはいかないので、休日を『体の日』にしてはどうでしょうか。頭を使うことは極力避け、存分に体を動かす。家の近くをウォーキングするとか子供相手にサッカーや 野球をして『蹴る』『投げる』など、体の日にふさわしい過ごし方は心身をバランスよくし、そんなひと時が心身の疲労回復に効果があるのではないでしょうか。是非おすすめですよ。

 

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