- ロマンティックな気分は、ずっと続くものではない
皆さんはどうでしょうか?私達の長い生への受けとり方について、絶対条件に なるのは仕事(働くこと)で、生計を立てるための仕事と各人が受け持つ仕事 任務や職分と私は思う。恥ずかしながら私は、これまで自分が好きで心から体が 動き積極的にこの仕事をしてきてよかったと、満足できる職業に出会ったことが ない。よく考えてみると、与えられてきた役目の責任を果たそうとしてきただけのように思う。元々口数が少ない自分が、現在ではよくしゃべるようになった。 そこに要因があるのではないか?それについて、他人は好きでなければこのように多彩に動けないという。しかし、まだ自分の動きについて、理解をして認めることができてない。
ベルリン大学のアンタ・カールステンという女性心理学者が行った実験で、こんなおもしろいのがあった。
被験者たちに、非常に楽しい仕事と、非常にイヤな仕事、そして中間のどうでもいい仕事をさせてみた。すると一番長く続いたのは、どうでもいい仕事で、非常に楽しい仕事と非常にイヤな仕事は、どちらも続かなかったのである。イヤな仕事が続かないのはよくわかるが、楽しい仕事に飽きてしまうのは、なぜだろうか? これは楽しいことも、いつまでもその気分が続かないからだと考えられています。最初は非常に楽しくても、その人にはその気分は長つづきしない。すると最初に 比べて、つまらなく感じ『飽きた!』とサジをなげてしまう。楽しい仕事もイヤな仕事も、自分の好みや考え方に深く関わっていて、それだけに変化も激しいと思ってしまう。ところが中間の仕事は、自分の好みや考え方にあまり関係がない。そこで飽きにくいと考えられると私は思う。
これは多方面に例は考えられるが、その一つは恋愛や結婚生活にもあてはまる 例ではないかと思う。イヤな人との結婚生活は長続きしなくて当たり前であるが しかし激しい恋愛をして一緒に結婚した夫婦が、あっけなく別れてしまうことも 多い。それはなぜか。それまでいとおしい最初の気分が続かない。最初のロマンチックな時期が冷めてきたとき、予期せぬいさかいが多くなるのだろうか?どんな 夫婦でも、いつまでも新婚気分というわけにはいかない。その後も長いつきあいを続けていくためには、生活の中で、なんらかの目的を二人で一緒に設定していく ことが、いかに大事かそして常日頃から、確かめあうことをお勧めしたいもので ある。倦怠期が訪れたとき、二人の間にある『共通点』が何もなければいっしょにいることが、難しくなっていく。
友人関係でも同じであるが、長年のつきあいになる友人とは、共通項があるものである。同じ趣味を持つ仲間、同じ仕事をしている仲間、囲碁仲間、文学仲間 酒飲み仲間、郷里が同じ仲間は、また会う機会がつくれる『○○仲間』と設定してつきあえる友人は、長いつきあいができる人である。会うたびに新しい発見や魅力があり、いつまでも心ひかれ続けられる。だから『中間の共通点』に人と人は ひかれあうのではないだろうか。
- 令和3年度 集団検診(特定検診・がん検診)
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- 『健康に生きる』体が喜ぶ日々の暮らし方 ~ 小さな楽しみが心をいやす ~
『いやし』という言葉を最近よく聞く。現代はそれだけ心がささくれ立つような環境だということでしょうか。結局自分をいやすのは、やはり自分の心のあり方ではないでしょうか。今の失望や悩みから脱出するには 『ささやかな楽しみ』を持つことではないでしょうか。いくら失望が大きくても、悩みが深くてもささやかな楽しみの一つや二つは、必ず見つかると思います。
石川啄木の短歌に「友がみな我より偉く見えるとき、花を買いきて妻と親しむ」というのがあります。自信を 失い、心配事や病気でやつれ衰えていた。若くして死んだ歌人が、一輪の花を妻とともに愛でていたという ささやかな楽しみによるいやしの構図のようです。こんなロマンチックではなくても、ペットと過ごす時間が 心のささくれをとってくれたり、庭の花の手入れに夢中になるひと時が気持ちをおだやかにしてくれたり、何も たちまち気分を一新させてくれるような大げさな楽しみでなくてもいいと思います。「生きていることも、そう 捨てたものではない」と、一瞬でもそう感じることができるのであれば、いやし効果があるものです。体が喜ぶ 生き方は、ゆったりと少しでもいい、前を向いて、感動を求めていきましょう。